
日本キャッツクロー普及協会のアリトミ会長による連載「ペルーの風が吹くとき」。この連載は健康食品素材として有望視されているキャッツクローの真実を多角的な視点から解析していくものです。第2回はその発見と研究対象として注目されていくまでの経緯をお届けします。
日本キャッツクロー普及協会:有富 弘 会長
2001年8月、ペルーの北端にあるロレート県のイキトス市で、キャッツクロー国際会議が3日間にわたって開催された。日本からも千葉大学薬学部教授(当時)でアルカロイドの権威、相見先生も参加された。その会議で、キャッツクローの科学的研究のきっかけをつくったオーストリア人のクラウス・ケプリンガー氏が重大な発言をしたので、その一部を紹介したい。
「私がキャッツクローの研究を始めた1975年には二人の先駆者がいました。アルツーロ・ブレル氏とオスカー・シュラー・エッグ氏です。彼らは、アシャニンカ族が昔からガンやリウマチの治療に使用されていた薬用植物にかかわっていました。キャッツクローの名前とそれがガンの治療にいいということを科学の世界に持ち込んだのはこの二人でした。彼らこそが健康食品としてのキャッツクローの発見者です」
アルツーロ・ブレルは1904年ドイツのアッパー・ババリアで生まれ、ミュンヘンで自然科学を学んだ。少年時代からアメリカ大陸の先住民族、アステカやインカに興味を抱いていたが、1926年に南米大陸に行く夢が現実となる機会が訪れた。ペルーの熱帯雨林にあるポズソというドイツ人入植地の教区リーダーをしていたシャッフラーという牧師から現地で学校を建て原住民に西洋文化の教育を施す手伝いをしてくれないかとの依頼を受けた。ブレルは、赴任して3年目にペルーの熱帯雨林にあるチャンチャマーヨでコーヒーを栽培して成功した。その地で、彼は先住民の村人たちともつきあいながら生活をしていたため、彼らの習慣に精通するようになった。そして次のことに気づいた。彼らは、日ごろ料理の焚き火の煙と食べ物を焼いている炭の両方のタールに含まれている発ガン物質にさらされているにも拘らずガンにかからないということであった。数年間その原因を追究した結果、彼らは、何か強力な免疫系の薬用植物を摂取しているからだということがわかった。それがウニャ・デ・ガトというハーブであった。ブレル自身、リウマチを患っていたが、その薬用植物の抽出物を摂りはじめてから、症状も楽になり髪の毛の伸びも早くなり顔色もよくなった。
もう一人は、オスカー・シュラー・エッグだ。彼は、オーストリー系ペルー人で、こういうエピソードがある。1893年生まれの父、ルイス・シュラーが1969年、欧州系のガン専門医アンドレス・ソリドロから肺がんの末期症状で余命3カ月と診断された。彼は当時、関節リウマチと閉尿症を患っており寝たきりの絶望的な状態であったので、オスカーは最後の手段としてアシャニンカ族のシャーマンの老婆に勧められたウニャ・デ・ガトを父親に飲まし続けた。すると、なんと3カ月後、父親は心身共に回復し、歩行ができ、階段も独りで昇れるし、関節の痛みも和らいですっかり若返ったようになった。そして88歳まで12年間延命したという。
ブレルは、1978年リマでこの世を去っている。一方ルイス・シュラーは、1981年まで生存したが、彼を最後まで介護していた長男オスカー・シュラー・エッグは、この薬用植物ウニャ・デ・ガト(通称キャッツクロー)を世界の人々に紹介し利用してもらうのが自分の天職だと信じるようになり、そのために必要な科学的な研究を国の内外の大学に要請することを決意した。しかし、ペルーの大学では、埒があかなかった。(続)
