2022.03.30(水)

受け継がれるアーユルヴェーダの哲学

前回は「リグ・ヴェーダ」や、その付属書についてご紹介しました。
 
 
インド最古の文献から脈々とアーユルヴェーダの哲学が記されています。
 
 
最古の文献「リグ・ヴェーダ」⇒続編「アタルパ・ヴェーダ」⇒「チャラカ・サンヒター」今も研究されている医学書として、現代に受け継がれています。
 
 
最初の文献では、神々への讃歌が記されていました。もともとは、アーリヤ人(肌の白い人々) がインドに侵入し、バラモン教を布教しました。
 
 
「リグ・ヴェーダ」はバラモン教の神々を称える話しとなります。
 
 
その後、バラモン教がカースト制度を敷いて、肌の白い人々を守るように教育していきますが、だんだんとインド土着の神々の神話(肌の黒い人の神)が混じり、ヒンドゥー教が勢力を増していきます。
 
 
ヒンドゥー教の神々も融合されて、古典書は変化していきます。バラモン教もヒンドゥー教もカースト制度を大切にしていましたが、カースト制度に強く反発した釈迦が仏教を興し、人はみな平等であると唱え始めます。その後、イスラム文化がインドに侵入してきて、イスラムの偶像崇拝を禁止する考えから、インドの寺院や仏像はことごとく壊されていきました。
 
 
北インドはイスラム文化に変わっていき、危機感を感じた南インドは高い城壁を築くなどして、ヒンドゥー教を守っていきました。インド発祥の仏教は残念なことに、消えていきました。インドを北インド、南インドと分けて呼ばれることが多いのは、宗教や文化の違いからと言われています。そのような背景を持ちつつ、アーユルヴェーダは受け継がれてきました。チャラカ・サンヒターの冒頭には、神々が最初にアーユルヴェーダを悟り、その素晴らしいアーユルヴェーダの知恵を神々から聖人へと口伝で受け継がれ、また聖人から6人の弟子たちへと口伝で受け継がれたとされています。アーユルヴェーダの知恵が、沢山の人々を助けて救えるようにと、弟子たちは文字に記しました。神々の言葉を見事に文字に訳されたことを聖人たちが喜び、神々にも報告し、それが現代に受け継がれた書物となっていると われています。チャラカ・サンヒター(主に内科についての医学書)やスシュルタ・サンヒター(主に外科についての医学書)その弟子たちが書いたとされています。古典書には神々の話が多く、神々と人間が交流していたと書かれていますが、本当にそうであったかどうかは私の知るところではありませんが、日本にも「古事記」という古典書があるように、インドにもそのような文化の中で、アーユルヴェーダが守られてきたというのは興味深いところです。
 
 
次回は古典書にも記された神々のおとぎ話のようなお話しを致しましょう。これからもアーユルヴェーダライフを楽しんでいきましょう。
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