数年前にテレビの特集で、履歴書に写真は必要か?というテーマの特集が放送されました。海外では必要とされていないのに、なぜ日本では必要なのか?そもそも本当に必要なのか?という内容について、多くの賛否両論の意見が寄せられたそうです。賛否それぞれに意見があり、見方がありますので、ここでその是非を判断するものではありませんが、こういう話題になると、きまってイスラム教徒の女性が身に着けているヒジャブについての議論もおこってきます。
なぜ女性は顔や体を覆わなくてはならないのか?これは女性に対する抑圧ではないのか?そういう意見もあります。事実、最近ではヒジャブを脱いで街中で抗議している女性たちを取り上げているニュースもよく目にします。
イスラム教的には、「貞節な女性たちは、目を伏せプライベートな部分を守り、異性を魅惑させることのないように飾らず・・・」と伝えています。女性たちがヒジャブを身に着けることによって、性欲的な外的要因を取り除き、名誉と尊厳そして謙虚な気持ちを保ち続けることでイスラム教徒として認められるようにしているという考え方だそうです。
女性側から見ても、ヒジャブを身に着けることによって見た目で判断されない自身の魅力や能力に目を向けることができる満足感、大切な人にだけ自分の姿を見せてあげたいという愛情表現、他にも安心感や充実感、プライドなど様々な気持ちが満たせるという考え方があります。
一方で、見た目も含めて自分の個性であり、人がどう考えようとも外見も中身も含めて自分自身なのだから、隠すよりはオープンにしたいという考え方もあります。それに伴う充実感やプライドも含めて、女性自身が「ヒジャブを脱ぎ捨てることによって満たされる」という考え方もよくわかります。
大切なのは、そのどちらの考え方も(またこれ以外の考え方も含めて)正しいという多様性を受け入れていくということではないでしょうか。
今、LGBTQに代表されるように、性の枠組みすら取り外して、お互いに同じ人として向き合っていこうという機運が高まっています。
冒頭の、履歴書にそもそも写真が必要だった理由、イスラム教の女性にとってヒジャブが必要とされた理由、それはそれとして一定の理解を示しつつも、それぞれを全てYESとするのも、逆に全てNOとするのも、これからの時代にはそぐわないのかもしれません。
今、世の中は大きく変わっていこうとしています。これまでNOとされてきていた理由や根拠すらも科学の進歩や社会環境の変化にって覆されてきています。
これまでがどうであったかという過去軸よりも、これからどう生きていくべきかという未来軸にそってお互いを尊重しあえる生き方ができていくと素敵ですね。こういった論争も昔あったよねーって笑って言える未来に期待したいと思います。